質問の裏にある本音
「どうすれば数学ができるようになりますか?」
この問いは、単なる学習法の相談ではありません。
それは、「自分に希望はありますか?」という心の叫びです。
生徒は自分の弱さをさらしながら、勇気を出して尋ねています。だからこそ、この問いに対して返すべきは、「論理的思考力」といった抽象語ではなく、“希望が持てる具体策”であるべきなのです。
論理的思考力はゴール
「論理的思考力を鍛えよう」とよく言われます。
確かにそれは間違っていません。でも、それは“結果”であり“目的地”です。
スタート地点にいる生徒に、いきなりゴールの話をしても、前には進めません。例えるなら、地図だけ渡して「頑張れ」と言っているようなもの。必要なのは、その生徒の足元に「一歩目の道しるべ」を差し出すことです。
まず「型」を覚える
数学も、型を覚えるところから始まります。
スポーツや音楽と同じで、いきなり応用はできません。
教科書レベルの典型問題を何度も繰り返す。
「なぜこの解法になるのか」を理解しながら、手を動かす。
ここを飛ばしてしまうと、どんな参考書も、どんな講義も効果が出ません。
答えを「写す」のではなく「語る」
理解とは、「人に説明できる状態」のことです。
自分の言葉で解き方を語れるようになったとき、はじめて本当の理解に近づきます。
教室で「ここ、なぜこの式を使うの?」と聞かれたとき、生徒が「あ、それはですね……」と語れるようになった瞬間、成長を実感します。
間違いこそ、最大の教材
数学が苦手な生徒ほど、「間違えるのが怖い」と感じがちです。
でも、間違えた問題には、今の自分に足りない要素がすべて詰まっています。
「どこで間違えたのか」
「なぜその選択をしたのか」
「どうすれば次は正解できるのか」
これを自分の頭で振り返り、再挑戦するプロセスこそ、数学の学力を根底から育てる本当の勉強です。
講師は“翻訳者”であれ
数学の講師に求められるのは、“自分の理解を伝える力”ではなく、生徒のわからなさを翻訳する力です。
難しい概念を、やさしい言葉に変える。
抽象的な解法を、具体的な行動に落とし込む。
苦手な生徒の視点に降りて、「ここからなら登れるよ」と道を示す。
これが、プロの仕事です。
「苦手」の中身は一人ひとり違う
「数学が苦手なんです」と一口に言っても、その中身は人によって全く違います。
方程式で止まる生徒
図形問題になると混乱する生徒
式変形の途中でつまずく生徒
問題文が長くなると読めなくなる生徒
これらの“つまずきポイント”を丁寧に探し、そこから手当てしていく。これが本当の意味での個別指導です。
小見出し:生徒の背景を読み取る
どんな高校に通っているか。
目指している大学はどこか。
日々の学習状況はどうか。
口調や表情、視線の動きはどうか。
こうした背景情報を講師がどれだけ丁寧に拾えるかで、言葉の選び方も、教材の難易度も、声のかけ方もまったく変わってきます。
「足元の一歩」を示す
「この問題集を、まずは1日3題やってみよう」
「公式を覚えるだけでなく、どう使うかをノートにまとめよう」
「次に同じ問題を見たとき、自力で解き直せるようにしてみよう」
そういった“具体的な行動”が、生徒のやる気と安心感を生みます。
講師は、行動に落とし込まれた知恵で、生徒の手を引いていく道案内人なのです。
「できるようになりたい」は希望の声
「数学ができるようになりたい」という言葉は、
「私は変わりたい」という意思の表れであり、
「私にもできる可能性がありますか?」という切実な問いかけでもあります。
その声に、抽象語で応じてしまうのか。
それとも、目線を合わせて「君ならできるよ。今日はここからやってみよう」と寄り添えるのか。
後者を選ぶこと。
それが、私たち教育者の矜持だと信じています。
最後に
指導者に必要なのは、「論理力」よりも「共感力」と「翻訳力」です。
生徒が発したひと言の奥にある、感情と背景と希望を汲み取り、
その子の人生の中で、「数学ができるようになった」瞬間をともに喜べる人でありたい。
そう願いながら、今日もまた、教室で生徒の言葉に耳を澄ませています。